craftsman 飛騨の匠の誕生、そして家具産地へ

飛騨の匠の誕生、そして家具産地へ
画像提供:協同組合 飛騨木工連合会
四方を山に囲まれた飛騨では、1300年前のはるか昔から、その豊富な木材を使って住居の建築などが行なわれていました。時の中央政府はその腕を高く買い、納税の代わりに都で宮殿や寺院を建築する木工職人の提供を法律で義務づけていました。飛鳥時代から平安時代末期までの400〜500年間に渡ってこの制度は続きました。
都で腕を磨き、任期を終えて飛騨に戻った職人が、豊富な樹種の木々を活かす匠の技を育み、建物や家具、工芸品などの木造りの文化と伝統を生み出し、大正時代には家具の産地を形成していきます。

飛騨の匠制度の始まり

飛騨・高山と京都、奈良のマップ
飛騨が日本有数の家具産地になった要因のひとつに、1300年前の奈良時代にできた「飛騨の匠制度」があります。
飛騨の匠制度は日本の古代における租税制度の中で、飛騨一国だけを対象に定められました。養老2年(718年)に編纂された「養老律令」において、徴税に関する賦役令(ぶやくれい)の39条に、「飛騨国(※表記は斐陀国)は庸、調の税の代わりに、年間100人程の匠丁(しょうてい)を都へ派遣すること」と記載されています。 匠丁は木工技術者、つまり飛騨の匠(飛騨工)のこと。律令政治による、飛騨から都へ職人を派遣する飛騨の匠制度の始まりです。

飛騨の匠の誕生

飛騨の匠の労働風景 イメージ
画像提供:協同組合 飛騨木工連合会
当時の飛騨は1年交代で100人、多い時には200人近い匠丁が徴用されました。平安末期までの約500年間で、都に派遣された人数は延べ4万とも5万とも言われています。食料や調理人の確保・運搬も自分たちで行ない、労働日数は330日以上と定められ、条件を満たせない者は飛騨に帰ることが許されませんでした。
厳しい労役に耐え、並はずれた腕を誇る木工集団は、やがて「飛騨の匠」と称賛されるようになりました。薬師寺・法隆寺夢殿・東大寺など多くの神社仏閣の建立に関わり、平城京・平安京の造営に貢献し、日本建築史における黄金時代の一翼を担ったのです。

縄文時代まで遡る飛騨の匠の起源

堂之上遺跡の竪穴式住居 外観
堂之上遺跡の竪穴式住居
なぜ飛騨だけが納税の代わりに技術者の提供を課せられていたのでしょうか。
実は飛騨では、奈良時代以前の古代寺院が14以上確認されており、匠制度ができる前から高い建築技術をもっていたことが判明しています。 時代はさらに遡って約1万6800年前の縄文時代。飛騨は、雪の多い北部はブナやナラなどの広葉樹、南部はヒノキなどの針葉樹が広く分布していました。
また、飛騨山脈や白山からもたらされる水に恵まれ、肉や木の実などの食料も手に入る住みやすい土地でした。 森から生まれる木材は、竪穴式住居の建築に利用されていました。木を切る道具になる蛇紋岩(じゃもんがん)が各地で採れたため、遺跡の住居周辺には伐採用の斧や、ほぞ孔を開けるノミなどの石器が多く出土しています。飛騨の縄文人は、良い木材と道具を駆使して住居を建て、周囲と力を合わせて作業をしていたと考えられています。
永い時を経て、都の造営で木工技術者の需要が高まり、その優れた技術を活用するため、こうして匠制度が設けられたのでした。

文学作品に描かれた飛騨の匠

古代以降、飛騨の匠の姿は名工の代名詞として文学作品などにも登場します。
日本最古の歌集「万葉集」に収録されている恋歌「かにかくに 物は思わじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に」(訳:あれこれと迷うことはしない 飛騨人が木材に引く墨縄の線のように ただ一筋にあなたを思う)からは、実直に仕事をする飛騨の匠の姿が見て取れます。
「源氏物語」「今昔物語集」でも、優れた木工技術者として飛騨の匠の描写があります。

各地に残る飛騨の匠の作品

飛騨の匠が建てたと記録が残る古代の都の建造物は、甲賀宮・平城宮・平安宮などの宮殿や、西大寺・石山寺・西隆寺などの寺院などが知られていますが、建築物以外にも建具や家具の製作にも携わっていました
飛騨の匠の制度は400〜500年続きましたが、古代律令制度の終焉とともに自然消滅しました。しかし匠たちはその腕を買われ、以後も全国で建築活動を行なっていました。
埼玉県狭山市の入間野神社は、建久2年(1191年)の創建です。毎年10月に奉納される獅子舞の唄に、「この宮は 飛騨の匠が建てたよな 四方しめたよ くさびひとつ」と飛騨の匠が登場する一節があります。
滋賀県に現存する国宝の西明寺本堂や三重塔は、鎌倉時代の飛騨の匠が手がけた建造物です。
元亀元年(1570年)に建立された秋田県大仙市の古四王神社の本殿は、飛騨の匠が建てたと伝えられています。昭和5年(1930年)に改修した際には「古川村 大工 甚兵衛」と墨書きした部材が発見されました。古川村とは、現在の飛騨市南部の古川町のことです。
また、飛騨の匠の祖として現在も崇敬を集める飛騨権守(ごんのかみ)の藤原宗安は、応長元年(1311年)に岐阜県郡上市にある長滝寺の大講堂(明治32年(1899年)に焼失)の大工頭を務めています。

飛騨の匠の神髄

飛騨の匠は、木の性質を見極め、それを適材適所に生かす加工技術を持っていました。
飛騨で優れた木工技術が育まれた理由は、豊富な森林資源です。飛騨地方は面積の約93%を森林が占め、さらに他の山林と違い、利用できる樹木の種類が多いことが挙げられます。 普段から多種多様な性質の樹種に触れ、磨かれた技術が、世界に通じるレベルまで発展させたのです。
また、山に囲まれ、冬は雪に閉ざされる飛騨の気候は、派手さを嫌い、寡黙で実直な気質を生みました。この気質は古代から現代まで受け継がれ、匠をはじめ飛騨の文化の素地になっています。
飛騨の匠の作品は、正確な技術に基づき、木の美しさを生かし、全体が控えめな美しさにまとめられていることが、大きな魅力と言えるでしょう。

曲木椅子の製造開始、そして家具産地へ

飛騨産業 曲木椅子の製造風景
画像提供:飛騨産業
明治に入ると、市町村制や議会制度が始まり、各地で近代産業が発展しました。飛騨も例外ではなく、明治初期には製糸業が全盛となりました。ただ木工関係は春慶塗(しゅんけいぬり)一位一刀彫(いちいいっとうほり)など小さな日用品や工芸品に限定されていました。
森林資源を活かした林業・製材業が発展するのは明治後期からです。当時の農商務省による広葉樹の利用を促進する活動が進み、飛騨でもさまざまな調査研究が始まりました。 秋田県湯沢町の秋田木工でブナ材を活用した曲木椅子の製作が伝わり、飛騨でもブナ材を使った工芸品の製品化を進める機運が高まりました。
大正時代には、広葉樹を製材する会社が設立。さらに曲木技術の習得のため、大阪の工場に職人を派遣するなど、曲木工場設立の準備が整っていきました。
そして大正9年(1920年)6月、高山の有志が発起人となり、曲木工場立ち上げの株式募集が始まります。同年8月10日、飛騨産業の前身となる中央木工が株式会社として設立されました。
こうして1300年に及ぶ飛騨の匠の伝統は、曲木椅子製作という近現代の産業へつながり、飛騨を日本有数の家具産地へ押し上げていくのでした。

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