ペルシャ絨毯の主な産地とイランの主要都市のご紹介
イランにおけるペルシャ絨毯の主要産地をまとめてみました。
主要生産拠点から、多少ローカルでも知る人ぞ知るという産地まで、様々な生産拠点で今日もまた新たなペルシャ絨毯が生まれようとしています。イラン各地の位置関係を知ることで、ちょっとしたイラン観光のお役にも立つかも?!。ぜひ、イランの伝統と文化と一緒に、ペルシャ絨毯もご覧頂ければと思います。
イスファハーン(イスファハン)[Isfahan, Esfahan]
イラン中央部、ザーグロス山脈の東麓に一するイスファハーンは、古い伝統を誇る都市で、その歴史は紀元前6世紀にさかのぼります。11世紀、大セルジューク朝の首都となり、16世紀末にサファヴィー朝ペルシャのシャー・アッバース一斉がこの街に都を遷すにおよんで、イスファハーンはイスラム世界でもっとも美しい街といわれるようになりました。この当時作られた華麗なモスクや建造物が、いまも街のいたるところに見受けられます。かつて宮廷専用の絨毯工房もこの一角にあったといわれ、絨毯づくりの技術の高さとその誇りが、今日にまで受け継がれています。
イスファハーン産のペルシャ絨毯を見る
カシャーン(カーシャーン)[Kashan]
中央ペルシャの都市カシャーンは、古くからの工芸の街として知られ、タイルや陶器、絹織物がつくられていました。サファヴィー朝当時につくられた教に伝わる名品絨毯も数多く、おおいに評価され、「カシャーンからやってきた人」という言葉が絶大な賛辞に値するという事からもうかがえます。しかし、現代のカシャーン絨毯は良品には属するものの、他の産地のような発展は見せず、伝統的な色使いと構図のものが、ただ作り続けられている感があります。デザインとしては、菱形メダリオンの伝統的なラチャク・トランジや全面アラベスクのアフシャーンなどが中心です。
クム(コム)[Qum]
その昔ゾロアスター教の聖地であったクムは、イスラム勢力が蔓延した9世紀、十二イマーム派第8代イマーム・レザーの妹ファーティマが祀られることによってシーア派モスリムの重要な聖地となりました。この敬虔なイスラム教徒の街で絨毯づくりが始まったのは、1930年頃のことです。1960年代に入り、部分的に絹を使った絨毯が表れ、やがてオールシルクの製品が作られるようになって、クムの人気はヨーロッパでも急上昇しました。新興の産地であるため、そのデザインも斬新なものがあり、意欲的な工房が多く、シルクの風合いを生かした華麗な絨毯が数多く作られています。
ケルマン ケルマーン[Kerman]
南ペルシャの高原都市ケルマンは、3世紀サーサーン朝の創始者アルダシール一世によって建設され、サファビー朝当時、王室工房も設けられていたというペルシャ絨毯の伝統的産地のひとつです。ショールの産地でもあったケルマンは19世紀その衰退を期に絨毯産業への転換がなされ、本格的な絨毯生産が始まります。ケルマンのデザインは大きく2つの様式に分けることが出来ます。ひとつは伝統殻で、主に花柄を描出したメダリオン文などのペルシャ・デザイン、もうひとつはアメリカンとよばれる無地フィールドに花文メダリオンを配したアメリカ市場向けのデザインです。
ザンジャーン[Zanjan]
ザンジャーンは、テヘランとタブリーズのちょうど中間に位置するザンジャーン州の州都です。このあたり一体はクルド人の街が多く、ナイフの名産地として知られてきましたが、近年はシルク絨毯の産地として有名です。昔はハマダーン北部のハムセ地区でつくられた絨毯の集積地で、現在はシルク絨毯の人気が高いクムのコピー産地のひとつとして名が通るようになりました。マラーゲに比べて比較的緻密な織のものも見られ、クムの中級品として取り扱われることもあります。
ナイン[Nain]
イラン中央部に位置する小さなオアシス都市ナインは、イスラム初期のモスクや素晴らしいメフラーブ、14世紀のミンバル(説教壇)を有するマスジュデ・ジャーメ(金曜寺院)でも有名な都市です。昔は上質なウールの布の産地として有名でしたが、機械織り製品の氾濫とともにウール産業も衰退し、その工房が絨毯産業へと転換をはかったのが1920年代のことです。やがて、その品質が西欧で高い評価を受けるようになって、ナインは世界に知られる絨毯産地となりました。落ち着いた色調、白い絹でモチーフの輪郭をとって文様を浮かび上がらせる手法などがその特徴となっています。
タブリーズ(ダブリーズ)[Tabriz]
コーカサス山系の南、標高1,360mの高原にタブリーズの街はあります。夏は涼しいけれど、冬は寒く、厚い雪に覆われてしまいます。この地は、いろんな意味でもっともヨーロッパ世界に近かったと言えるでし ょう。古くから東西交通の重要な位置にあったため、その歴史はサーサーン朝時代に始まり、3世紀にはアゼルバイジャン、14世紀にはイル・ハーン国の首都ともなりました。19世紀にはイランの商業の中心地として、タブリーズ商品の絨毯産業復興における活躍ぶりは目をみはるものがありました。ヨーロッパ市場を見据えたその絨毯づくりは、幅広いデザイン開発にも繋がりました。
マラーゲ[Maragheh]
イラン北西部、オルーミーイェ湖の東になる古い街マラーゲは、13~14世紀の一時期、モンゴル系のイル・ハン国の首都ともなったところです。マラーゲとは、「獣たちの転げまわる場所」という意味があり、モンゴル人達は馬を養うのに適した草原風景をこよなく愛したと伝えられています。マラーゲでつくられる絨毯は、ほとんどがクムのコピーです。地組織に面を使用するものが多く、折り方はタブリーズなどと同じで、独特のフ ックの付いた器具を用います。近年、安価に入手できるシルク絨毯として、大きな需要を獲得するようになりました。